日本政府は、令和4年2月1日の閣議で「佐渡島の金山」を世界文化遺産へ推薦することを了承し、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)に推薦書を提出しましたが、ここに至るまでの政府の曖昧な対応が混乱を招いたのは周知のとおりです。
佐渡金山は、文部科学省の文化審議会が令和5年の世界文化遺産登録を目指し令和3年末、国内候補に選定しました。ところが、令和4年1月20日になって政府は「韓国の反発」を理由に推薦を見送る方向へ動き出してしまいました。
韓国の外務省は、「佐渡金山は朝鮮半島出身者がかつて強制労働をさせられた場所」だとして、推薦の撤回を求めていたのです。
近隣諸国と揉め事を起こしたくない日本の外務省は、当初からこの件に関しては消極的だったとされますが、そもそも韓国側の主張は事実に基づいたものではありません。昭和15年から17年にかけて、朝鮮半島出身者を1千人ほど佐渡金山で受け入れた事実はありますが、給与はきちんと支払われており「強制労働」にはあたらないのです。また、今回の申請は推薦内容を江戸時代までに区切っており、期間としても対象外となります。
及び腰の政府の姿勢に対し、与党内でも疑問の声が相次ぎ、地元新潟からも反発の声が上がりました。仮にこれで推薦を見送れば、世界に誤ったメッセージを発信することになりかねません。
こうした中、一転して政府は1月28日になって登録の方針を明らかにし、今回の登録申請に至ったわけですが、首尾一貫しない政府の姿勢に国民の気持ちが翻弄されたのは事実です。
一方韓国はこの件に限らず、日本の動きに対して執拗に日韓併合時代の話を持ち出し、事実を曲げてまで被害者の立場を強調して世界にアピールするのが通例となっています。
日本精神復興促進会・大塚寬一総裁は訓話の中で、日韓併合時について説いており、それは次のような趣旨の内容です。
日韓併合時、日本は朝鮮半島を植民地化したわけではなく、インフラを整えて生活基盤を確立させた。また、教育体制を整備し、帝国大学まで設立した。かつて欧州諸国がアフリカ人を人間扱いしなかった(奴隷化した)歴史とは全く次元が異なる。しかも、もし仮に日本が併合をしなかったらロシアが南下し、半島全体が共産圏に組み込まれていた。
私たちはこの歴史と背景を、正しく理解しておく必要があります。